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    撰難楽 ドクター中松の成功法則

    2014/08/31

    ドクター中松こと中松義郎博士は、87歳になった現在でもハーバード大学、ペンシルバニア大学ウォートンスクールの教授を務め、この秋にはドクター中松のために、有名大学に創造学部ができるそうだ。

    ドクター中松は、東大工学部を卒業後、法学部にも入り直し、その後三井物産に入社した。三井物産は、日立製作所(月給12000円)に比べ給料は半分位(月給6700円)だし、理系が社長になれる日立製作所に比べ、商学系が社長になる三井物産では、社長になれる可能性は低い。

    しかし、あえてドクター中松は、厳しい方の道を選んだ。三井物産では、ヘリコプターの販売を担当した。しかし、当時ヘリコプターは高額で、一生懸命営業して1機買ってもらえても、その後リピート購入されることはなく、ノルマの2000万円の売上を上げた社員は1人もいなかったそうだ。

    ドクター中松は、用途が限られているから売れないことに気づき、それなら用途を発明すればよい、と考え、農薬散布用ヘリコプターを開発した。それも、勤務時間以外の時間を使って、夜や土日に自宅で研究開発して農薬散布用のヘリコプターを完成させた。これが飛ぶように売れ、ドクター中松1人がノルマの2000万円の売上を上げたという。

    次に電線架線用のヘリコプターも開発し、これもNTT(当時の電信電話公社)に飛ぶように売れたという。

    さらに、同じ頃、フロッピーディスクの発明者が三井物産にいる、とわかり、三井物産の株価が14円も上昇したという。昭和32年頃のことだ。株価が14円上昇したら、今でも相当にすごいが、昭和32年頃だと今とは相当貨幣価値が違っているので、今でいえば、その30倍位の動きと考えてもいいのではなかろうか?

    ドクター中松の初任給が6700円だったというから、貨幣価値が30倍と考えれば、420円の動きかも知れない。そう考えるとものすごい動きである。今ならストップ高かも知れない。1000株持っていたら、42万円の利益で、初任給の70カ月分つまり、約6年分に相当する。三井物産にとっても相当な利益になったはずである。

    そんなことがあり、三井物産には中松研究室まで作られ、予算はいくら使ってもいいから好きな研究をしてくれ、という破格の待遇で、将来の社長も確実、という状態だったらしい。重役がコートをかけてくれたり特別待遇だった。

    しかし、ドクター中松は、そんな恵まれた環境の中にいてはダメになる、と思い、あえて厳しい道を選び、会社を退社し、自分で裸一貫で会社を興す。そして、その後、ずっと黒字経営を続けているし、海外ではVIPとして扱われ、ハーバード大学など海外の名門大学でも教え、ノーベル賞受賞者が選ぶIgノーベル賞も受賞している。

    ドクター中松が三井物産に残り、組織的に巨大な予算を使って発明をし続けていれば、もしかしたら、ノーベル賞も取れていたかも知れない。そして、今と同じように、ハーバード大学やMITでも教授となり、日本経済ももっと繁栄していたかも知れない。

    しかし、ドクター中松は自ら会社を興し、100人規模の会社を運営し、今でも500件のテーマについて日々研究開発しているという。そして昨年末に導管がんが見つかり、余命2年と言われるなか、今度はガン撲滅の発明など、5つの目標を課し、そのために日々発明している。まさに発明人生と言えるだろう。

    こうした発明家がもっと日本から出てきてもいいのではなかろうか?

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